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名古屋高等裁判所 昭和46年(行コ)6号 判決 1972年6月29日

控訴人 家入日出夫

被控訴人 名古屋昭和税務署長

訴訟代理人 山田巌

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人の昭和三七年分所得税につき、昭和四一年一〇月二八日付でなした総取得金額を金三八六万八、三〇〇円、所得税額を金一〇五万九、五〇〇円とする更正処分(但し昭和四三年七月二日付名古屋国税局長の裁決により一部取消がなされた後の部分)を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、控訴代理人において、控訴人は愛知ヤクルト株式会社から金五〇〇万円を借受け、これを控訴人が同会社から受領していた一カ月金七万円の顧問料をもつて返済していたのであるから、控訴人が昭和三七年分所得税に関してなした納税申告等の行為は国税通則法第七〇条第二項第四号にいわゆる「偽りその他不正の行為」には該当しないと述べ、当審における控訴人本人尋問の結果を援用したほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一、当裁判所の審理判断によつても、控訴人の本訴請求は失当であるものと認める。その理由は「当審における控訴人本人尋問の結果中右(原判決の)認定に反する部分はたやすく措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。」を附加するほか、原判決理由説示と同一であるから、これをここに引用する。

二、よつて、原判決は相当であつて、控訴人の本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 布谷憲治 福田健次 豊島利夫)

【参考】第一審判決

(名古屋地裁 昭和四三年(行ウ)第五六号 昭和四六年三月一九日判決)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

被告が原告の昭和三七年分所得税につき、昭和四一年一〇月二八日付でした総所得金額を金三八六万八、三〇〇円、所得税額を金一〇五万九五〇〇円とする更正処分(但し、昭和四三年七月二日附名古屋国税局長の裁決により一部取消がなされた後の処分)を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文同旨

第二、当事者の主張

(原告の請求原因)

一、原告は昭和三八年五月三〇日、訴外鈴鹿税務署長(当時の管轄税務署長)に対し、原告の昭和三七年分所得税につき、次のとおり申告した。

総所得金額    金二一四万三、三〇〇円

(内訳)給与所得 金二一四万三、三〇〇円

所得税額      金四〇万六、〇三六円

二、しかるに、被告は原告に対し、昭和四一年一〇月二八日付で昭和三七年分所得税につき次のとおり更正処分および重加算税の賦課決定をした。

総所得額     金七一四万三、三〇〇円

(内訳)給与所得 金二一四万三、三〇〇円

雑所得           金五〇〇万円

所得税額     金二五四万八、三〇〇円

重加算税      金六四万二、六〇〇円

三、そこで原告は右処分につき昭和四一年一一月二九日被告に対し異議申立をしたが、同四二年二月二五日棄却されたので、同年三月二四日付で名古屋国税局長に対し審査請求をしたところ、同国税局長は次のとおり右更正処分の一部および重加算税賦課決定の全部を取消す旨の裁決をし、同四三年七月二日原告に通知した。

総所得金額    金三八六万八、三〇〇円

(内訳)給与所得 金一四四万三、三〇〇円

雑所得               〇円

一時所得     金二四二万五、〇〇〇円

所得税額     金一〇五万九、五〇〇円

四、しかし昭和三七年分所得税の法定申告期限が昭和三八年三月一五日であるから、被告は右期日より三年を経過した日である同四一年三月一五日以後においては原告の右納税申告につき更正処分をすることができない(国税通則法-以下単に法という-第七〇条一項)。

よつて昭和四一年一〇月二八日付でなされた前記二の処分(但し前記三の裁決により更正処分につき一部賦課決定につき全部、それぞれ取消された後のもの。以下本件処分という)は法第七〇条一項に遼反するものであり、違法であるから、その取消を求める(なお、原告の昭和三七年分の所得の金額については争点としない)。

(原告の請求原因に対する被告の答弁)

請求原因一ないし三の各事実をいずれも認め、同四を争う。

(被告の主張)

一、原告は、次のとおり、原告の昭和三七年分所得税に関し、法第七〇条二項四号所定の「偽り、その他不正の行為」をした。

(一) 原告は訴外愛知ヤクルト株式会社(以下、愛知ヤクルトという)から昭和三七年三月三日に金二〇〇万円、同年五月一九日に金一〇〇万円、また、同社の代表取締役である訴外平野己之助から、その頃金二〇〇万円の合計金五〇〇万円を受領した。

(二) 右の金五〇〇万円は以下の事実にて明らかなように、当時のヤクルト業界の特殊経営およびそれにからむ内部事情等に基.づき愛知ヤクルトおよび訴外平野己之助から原告に支払われたものであつて多面的な内容を有するものであるが、原告の所得の対象となるものであり、少くとも借受金には該当しない。即ち

原告は昭和三〇年一一月七日訴外名古屋ヤクルト製造株式会社(以下、名古屋ヤクルトという)を設立してその代表取締役となり「ヤクルト」の製造を行つていたが、同社の役員の中より、同社から分離し、「力ーラ六〇」の名称でヤクルトの類似品を製造する者が現われたため原告はその責任をとつて同三二年四月一五日に退社し、同社も同年五月二三日に解散した。他方、訴外平野己之助は同年二月二六日に愛知ヤクルトを設立し、同年三月頃右名古屋ヤクルトの業務を承継した。そこで愛知ヤクルトは、同三三年頃、一時原告に対し月々金五万円程の顧間料名義の金員を支払つていたが、原告が同社に勤務していないのに右金員を支給するのはおかしいとの理由で、そのうち、右支給を打ち切り取りやめた。

その後、原告は三重県へ転出し、昭和三七年当時には、株式会社ヤクルト三重処理工場の代表取締役および有限会祉ヤクルト三重営業所の社員であつたところ、数百万円の資金を必要とするようになつたので、右金五万円程の支給が打ち切られた後、右昭和三七年頃までの間、同金員の支給について何らこれを請求したことがなかつたのにも拘らず、右資金の獲得のため、過去に愛知ヤクルトから月、金五万円程を支給されたことがあるのを口実にして同社と交渉した末、前記(一)のとおり金五〇〇万円を受領した。なお、右金五〇〇万円については、原告および愛知ヤクルトならびに訴外平野己之助とも、返済しあるいは返済を受けるつもりはなく、また実体は顧問料でもなかつた。

(三) ところが原告は、次のような行為をした。

1 原告は、右金五〇〇万円を受領し、相当所得があることを知りながら当該申告期限内に確定申告書を提出しなかつた。

2 原告は、昭和三八年頃、訴外鈴鹿税務署長からの呼出しにより同署に出頭した際、同署の直税課所得税係官に対し、右金五〇〇万円については何ら触れることなく、単に愛知ヤクルトからは金七〇万円の給与を得ているにすぎない旨を申し述べ、同係官の判断を誤らしめた。

3 原告は、昭和三七年に右金五〇〇万円を受領した他、訴外株式会社ヤクルト三重処理工場から金九七万五、三〇〇円および訴外有限会社ヤクルト三重営業所から金五八万八〇〇〇円の各給与を得ていたにも拘らず、昭和三八年五月三〇日、訴外鈴鹿税務署長に対し原告の昭和三七年分所得税につき、総所得金額金二一四万三三〇〇円(内訳給与所得、金二一四万三、三〇〇円)とする期限後申告をした。

4 原告は昭和四一年九月頃、被告の係官の質問に対し、愛知ヤクルトからの所得についてはすでに同三八年五月三〇日に訴外鈴鹿税務署長に給与所得として申告済である旨申し述べ、右金五〇〇万円の受領を素直に認めなかつた。そこで同係官が訴外小牧税務署長の愛知ヤクルトに対する調査事蹟に基づき右金五〇〇万円の受領の有無を追求したところ、原告は己むなく観念して、右金五〇〇万円の受領を認めるに至つた。

5 原告は愛知ヤクルトと共謀し、原告の課税負担を軽減させるため、同社より受領した金三〇〇万円につき、同社の経理上、あたかも同社が原告に右金額を貸付け、これを毎月顧問料として原告に支払う月額金七万円にて返還を受ける如く仮装経理をさせた(しかも、右顧問料名義の金員については、給与所得の源泉徴収票の交付を受けていた)。

なお、愛知ヤクルトは、訴外小牧税務署長がした同社の法人税についての更正処分(原告に対する右貸付金および給与の経理を否認したもの)につき、経理の不正を簡単に認めて異議申立をしなかつた。

(四) ところで、法第七〇条二項四号所定の「偽りその他不正の行為」とは、客観的に不正にして税の収納を減少せしめる虞れのある一切の行為、即ち社会通念上不正と認められる一切の行為を指称するものであるところ、右(三)記載の行為は右「偽りその他不正の行為」に該当する。

二、従つて、彼告は原告の前記納税申告につき、法廷申告期限である昭和三八年三月一五日から五年を経過する日まで更正処分をすることができる(法第七〇条二項四号)。

よつて、右期日から五年以内である昭和四一年一〇月二八日付でなされた本件処分は適法である。

(被告の主張に対する原告の答弁および反論)

一、原告が昭和三七年分所得税に関してした納税申告等の行為は法第七〇条二項四号所定の「偽りその他不正の行為」には該当しない。

(一) 原告は昭和三七年頃、愛知ヤクルト(代表取締役、平野己之助)から金五〇〇万円を受領した。

(二) しかし、右の金五〇〇万円は以下の事実にて明らかなように愛知ヤクルトからの借受金である。即ち、

1 原告は昭和三〇年四月頃より、愛知県下で初めて、個人で「ヤクルト」の販売事業を開始し、同年一一月名古屋ヤクルトを設立してその代表取締役となり、 「ヤクルト」の製造および販売を行うようになつた。

2 ところが名古屋ヤクルトの関係者がヤクルトの類似品を製造、販売するようになつたので原告は昭和三二年初め頃、事実上、同社より退き、訴外平野己之助が同社を監督することになつたが、同人が愛知ヤクルトを設立するに至り、名古屋ヤクルトの事業は愛知ヤクルトに承継され、原告は名実とも従前の職務から退くことになつた。

3 しかし、原告自身には従前の職務において何等の背信的な行為がなく、右の如き名古屋ヤクルトから愛知ヤクルトへの事業の承継も原告の自発的承諾と株式会社ヤクルト本社(以下、ヤクルト本社という。当時の代表取締役、永松昇)の斡旋によつて円満になされた関係からヤクルト本社および愛知ヤクルト(代表取締役、平野己之助)は、原告の従来のヤクルト販売開発の功労に対する感謝と不本意ながら名古屋ヤクルトの事業から退くことになつた原告の精神的苦痛に対する慰籍の意味で、愛知ヤクルトから原告に対し、将来、引き続き顧問料名義で手取り毎月金五万円程度を支給することを認め、事実原告が右事業から退いた後、愛知ヤクルトから原告に対し顧間料名義で毎月手取り金五万円が支給されていたが、右金員の支給は一〇カ月程度で一方的に中止された。

4 そこで、原告が愛知ヤクルトに対し右支給の続行を強く希望していたところ、原告はその後三重県下においてヤクルトの製造、販売の事業に従事することになり、昭和三七年頃、数百万円の資金を必要とするに至つた。そこで再び前記永松昇等の斡旋により愛知ヤクルトと原告との間で、顧問料を復活し、愛知ヤクルトは原告に対し、今後毎月金七万円を支給する。原告の必要資金五〇〇万円については、愛知ヤクルトがこれを貸付ける。右金五〇〇万円の返済および顧問料の支払については、原告が毎月受領する顧問料によつて右金五〇〇万円を返済していき、返済完了と同時に愛知ヤクルトは右顧問料の支払を打切る、との合意が成立した。

5 原告は、右合意に基づき、愛知ヤクルトから金五〇〇万円を借り受げ、他方、同社から月々金七万円の顧問料の支給を受け、同顧問料にて、右金五〇〇万円の借受金を返済していた。

(三) 右(二)のとおり、右(一)の金五〇〇万円は借受金であり、また原告は愛知ヤクルトから顧問料を受領していたのであるから、原告がその旨の納税申告等をしたことは、偽り又は不正の行為ではない。

仮に、右(一)の金五〇〇万円が原告の所得の対象になるとしても原告は、右(二)の事情等から、同金五〇〇万円を借受金であり愛知ヤクルトより月々受領する顧問料でこれを返済しているものと信じていた。従つて原告の右のような納税申告等は、脱税を意図してなされたものではなく、法第七〇条二項四号所定の「偽りその他不正の行為」に該当しない。

二、また、請求原因三記載の名古屋国税局長の裁決では、重加算税賦課決定を取消した理由として「原告が事実の一部を偽装したとは認めがたい」と判断されているところ、同局長の右判断は当然被告を拘束する。従つて、被告は原告が偽りその他不正の行為をしたとの理由で法定申告期限より三年を経過した口以後に更正処分をすることはできない。

(原告の反論二に対する被告の再反論)

一、裁決の拘束力については行政不服審査法第四三条に規定されているが、同規定の意味は審査庁が原処分を取消した場合に関係行政庁(原処分庁ないし異議申立庁等)は裁決に反して原処分を適法有効なものとして取り扱うことはできないという趣旨であり、拘束力の内容については、一般に、処分庁は取消裁決を受けた処分について、その裁決で排斥された理由と同じ理由で再更正処分をすることはできないと解されている。

ところで、原告主張の名古屋国税局長の裁決は、「原告が事実の一部を仮装したと認めがたいから、重加算税を賦課決定した原処分は相当でない」としたもの、即ち、重加算税の賦課決定の可否の判断において「原告が事実の一部を偽装したと認めがたい」としてこれを取消したものであるから被告は右裁決により、右裁決で排斥された理由と同一の理由で再び原告に対し、重加算税の賦課決定をすることができないという拘束を受けるだけであり、更正決定等の期間制限(法第七〇条二項四号所定の「偽りその他不正の行為」に該当するかどうか)についての観点からは、何らの拘束を受けるものではない。

二、また、法第六八条一項所定の「隠ぺいし又は仮装し」 (重加算税賦課の要件)と法第七〇条二項四号所定の「偽りその他不一正の行為」(更正等の期間制限の特別要件)とは全く同一の概念ではなく、後者の方が前者よりも広い概念である。

第三、証拠<省略>

理由

一、請求原因一ないし三の各事実は、当事者間に争いがない。

二、そこで、被告のした更正処分の適否について判断する。

(一) <証拠省略>ならびに弁論の全趣旨によれば左記の各事実が認められ、同認定に反する原告本人尋問の結果の一部は採用できない。

1 原告は昭和三〇年一一月頃、名古屋ヤクルトを設立してその代表取締役となり、同社は愛知県下で初めて「ヤクルト」の製造および販売を行うようになつた(原告が昭和三〇年一一月頃、名古屋ヤクルトを設立してその代表取締役となつたこと、同社が「ヤクルト」の製造を行つていたことは当事者間に争いがない)。

2 「ヤクルト」とは乳酸菌を培養して製造される醗酵乳の商品名であり、ヤクルト本社かその製造の特許権およびその商標権を有している。

3 ところが、名古屋ヤクルトの工場設備が狭少であつたため東山に土地を取得し工場を建築することにしたところ、同地域が緑地帯であつたところからそれができなくなり、しかも、県より始末書をとられたこと、名古屋ヤクルトの株主のうち半数に近い老が「ヤクルト」の類似商品である「カーラ六〇」という醗酵乳の製造、販売を計画し、株式を譲渡したこと(名古屋ヤクルトの関係者が「ヤクルト」の類似品を製造するようになつたことは当事者間に争いがない)、などから、原告は昭和三二年初め頃、責任をとつて同社より退社し、当時ヤクルト本社の代表取締役であつた訴外永松昇の斡旋によりヤクルト本社の社員であり中部三県出張所長又は次長であつた訴外平野己之助が同年二月頃愛知ヤクルトを設立し、同社が名古屋ヤクルトの有していたヤクルトの製造権とともに名古屋ヤクルトの営業を承継した(原告が名古屋ヤクルトを退社したこと、訴外平野己之助が愛知ヤクルトを設立し同社が名古屋ヤクルトの事業を承継したことはいずれも当事者間に争いがない)。なお、名古屋ヤクルトは原告の退社後、間もなく解散した。

4 そこで、前記永松昇の斡旋によつて「ヤクルト」の販売開発につくした原告のそれまでの功績に対する謝礼として原告個人に対し、愛知ヤクルトから顧問料名義で月々金五万円の金員が支給されることになり、昭和三三年二月分から右金員の支給が始つたが、同社の役員会において出社もせず、営業の相談にもあずからない原告に対し右金員を支給するのは理由がないとされ、同年一二月分までで右金員の支給は打切られた(原告の退社後一時愛知ヤクルトから原告に対し顧問料名義で月々金五万円程度が支給されていたことは当事者間に争いがない)。

5 その後、原告が三重県に転出し、株式会社ヤクルト三重処理工場を経営し、愛知ヤクルトからヤクルトの原液を購入して「ヤクルト」の販売に従事するようになり、昭和三六、七年頃、経営資金数百万円を必要としたため前記永松に資金援助を相談していたが(原告が昭和三七年頃経営資金数百万円を必要としていたことは当事者間に争いがない)その頃原告が「ヤクルト」の販売のみならず再び製造関係にも復帰したいとの意向を示したり、前記4記載の顧問料名義の金員は終身、支給される約定であつたと主張したため前記平野との間に争いが生じてきた。

6 そこで、ヤクルト業界の関係者の斡旋により右紛争を解決するため、昭和三七年初頃、原告と愛知ヤクルトおよび平野己之助間で次のような合意がなされた。即ち、原告が中部三県において「ヤクルト」販売のためにつくした功績および原告が名古屋ヤクルトより退社することによつて「ヤクルト」製造権を事実上放棄したことに対する謝礼の趣旨で、平野己之助もしくは愛知ヤクルト側より、原告に対し金五〇〇万円を支払うこと、右金員の経理上の処理方法は、税務対策を考慮して、愛知ヤクルトが原告に対し貸付金名下に金三〇〇万円を支払い、他方、同社が原告に対して顧間料として月々金七万円を支給したことにし、同顧問料との相殺の方法によつて右金三〇〇万円を月々返済する形式をとること、平野己之助が原告に対し金二〇〇万円を支払うこと。

そして、原告はその頃金五〇〇万円を受領した(原告が昭和三七年頃、金五〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがない)。

7 右合意に基づき愛知ヤクルトは原告に支払つた金三〇〇万円を同社の経理上、同社の原告に対する貸付金として扱い、これを同社が毎月顧間料として原告に支払う月額七万円にて返還を受けているような形式を採つており(七万円支給の形式は昭和三七年三月から同四〇年九月までとられているが、それによる返還額は税引月額五万円余なのでいまだ三〇〇万円には充たない。)、かつまた、原告に対し、給与所得の源泉徴収票や給料明細表を交付していたが、同社が、原告に対し、顧問の辞令等を発令したことも、原告が同社に出勤したことも、或いは、相談役として、同社の経営に関与したこともなく、かえつて、原告は昭和三九年一月頃、ヤクルト本社と競争関係に立つ中部クロレラ販売株式会社を設立した。

また、前記平野己之助から原告に対して支払われた金二〇〇万円については、その後税務署長の調査のとき、係官から同金員は愛知ヤクルトから支出すべきものであると指導され、右平野は同社より返済を受けたが、右平野も同社も、原告より返済を受けたことはない。

(二) 以上の認定事実によると、愛知ヤクルト側から原告に支払われた金五〇〇万円は、「ヤクルト」製造権や愛知ヤクルトが承継した名古屋ヤクルトの営業権(これは原告がその開発に力をつくしたものである)などに関する原告と愛知ヤクルト間の争いを解決するため愛知ヤクルトおよび右平野から原告に対し交付されたものというべき性質のものであつて、借受金ではない。また、原告は愛知ヤクルトから顧問としての辞令を受けたこともなければ、同社に出勤したこともなく、顧問として相談にあずかつたこともないのであるから、同社から顧問料その他の給与の支給を受ける理由もない。(従つて、原告の反論一(三)前段は失当である。)。

したがつて、五〇〇万円を借受金とし、これを月々の顧問料で返済するというのは形式だけで、実質がない。よしんば、顧問料を受取るべき関係にあつたところで一時に支払われた金額に相当する顧問料の支払いと同時に打切りになるような顧問料であるならば、それはやはり名義だけで、実質は右一時金の支給のみが存在するにすぎない。したがつて法形式的には貸金と顧問料の支給が存在するとしても、経済的には原告が一時金の交付を受けたにすぎないのである。そうとすると請求原因一項の申告において原告は右五〇〇万円の所得を申告すべきであつたと言わなければならない。

(三) ところが、請求原因一項記載のように、原告は昭和三八年五月三〇日、訴外鈴鹿税務署長(当時の管轄税務署長)に対し、原告の昭和三七年分所得税につき、総所得金額として金二一四万三、三〇〇円(内訳給与所得金二一四万三、三〇〇円)のみを納税申告し前記五〇〇万円については申告していないのである。そればかりでなく、<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨によれば、右申告された給与額のうちには愛知ヤクルトからの給与額として金七〇万円位が計上されていること(その他の給与額は、原告が当時勤務していた株式会社ヤクルト三重処理工場等よりの給与所得と認められる)、愛知ヤクルトに対する調査の結果前記五〇〇万円のことを知つて昭和四一年五月頃調査に来た税務署員増田勇の質問に対し、原告は愛知ヤクルトおよび訴外平野己之助から受領した前記金五〇〇万円につき、当初は隠したが、まず愛知ヤクルトからの三〇〇万円を借受金として認め、ついで平野からの二〇〇万円をも認め、結局五〇〇万円全額を借受金であるとして認め、かつ右五〇〇万円は愛知ヤクルトから受取るべき月額七万円の顧問料で月々返済するものであり、愛知ヤクルトより源泉徴収票を送つてきているので、前記七〇万円の給与所得の申告もしたのだと弁解したこと、その後、審査請求の段階で原告は精神的補償であり非課税のものであると主張していることなどが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、原告が右のような所為に出る以前において、原告と愛知ヤクルト等との間で、原告が愛知ヤクルトから受領する金三〇〇万円は同社の経理上、貸付金とすること、そして同社が原告に支給する月々金七万円の顧問料との相殺の形式で右金三〇〇万円の返済を受ける形式をとることなどの合意がなされており、かつ同社が右合意のような経理上の処理方法を採つたことは、前記(一)の6、7記載のとおりである。

(四) そこで原告が五〇〇万円の一時所得につき右(三)記載の各行為をしたことが法第七〇条二項四号所定の「偽りその他不正の行為」に該当するか否かについて考えるに、右にいう「偽りその他不正の行為」とに脱税を可能ならしめる行為であつて、社会通念上不正と認められる一切の行為を包含するものと解すべきところ、原告は、要するに、愛知ヤクルトおよび平野己之助との前記(一)の6記載の合意に基づき、愛知ヤクルトをして前記(一)の7記載の経理上の処理をさせた上、自らは右両者より受領した計金五〇〇万円の一時交付金の所得申告を故意にせず、かえつて、右五〇〇万円を隠ぺいするための形式的手段である愛知ヤクルトからの金七〇万円の給与所得の申告をし、また税務署員の質問に対し、右五〇〇万円は借受金であつて、愛知ヤクルトから支給される月額金七万円の顧問料で月々返済している旨の主張をして、右五〇〇万円についての所得税を免れていた、というのであるから、これら一連の原告の所為が右にいう「偽りその他不正の行為」により所得税を免れた場合に該当することは明らかであると言わなければならない。

なお原告は、裁決により「原告が事実の一部を偽装したとは認めがたい」と判断されているから、被告は右判断に拘束され原告が偽りその他不正の行為をしたとの理由で法定申告期限より三年を経過した日以後に更正処分をすることはできないと反論するが、一般に、裁決により原処分が取消された場合の拘束力とは、原処分が当初よりなかつたものとみなされ、関係行政庁はこれに拘束されるという意味でしかないところ、成立について争いのない甲第一号証によれば、裁決により「原告が事実の一部を偽装したとは認めがたいから重加算税賦課決定した原処分は相当でない」として重加算税賦課決定が取消されているのであるから、被告は、再び重加算税賦課決定をし得ないという拘束を受けるにすぎず、更生期間制限についての観点からは何らの拘束を受けるものではない。

従つて、原告の右反論は被告の再反論二について検討するまでもなく失当である。

(五) 以上のとおり、原告は、昭和三七年分所得税に関し、偽りその他不正の行為によりその一部の税額を免れたいものと認められるから、被告は原告の納税申告につき、法定申告期限である昭和三八年三月一五日(所得税法第一二〇条一項)から五年を経過する日まで更正することができる(法第七〇条二項四号)ところ、本件処分が右期限内である昭和四一年一〇月二八日付でなされたことは当事者間に争いがないから本件処分は適法である。

三、よつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 越川純吉 笹本忠男 熊田士朗)

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